スローターハウス5

スローターハウス5再読。やはり傑作だなあ。ヴォガネットの本はこれしか読んでいないのだけれど、ヴォガネット自身と作品を知るにはこれだけで十分だと思うほどの傑作。

ここに出てくるドレスデンの大空襲は、第二次大戦航空史話〈上〉 (中公文庫)に詳しい。イギリス空軍はまだ無傷だった大都市ドレスデンを、それまでのドイツ空襲で培ったテクニックで非戦闘員殺戮という意味で非常に効率的に空襲を行った。まず通常爆弾で建造物の屋根を落とす。その次に焼夷弾でファイアーストームを引き起こす火災を発生させる。ドイツ側が偽装のため郊外に作った偽物の都市は、司令機からの指示で冷静に無視させる。ドイツの消防隊による消火活動を阻止するため、時間をおいて第2波攻撃が見舞う。死亡者数は確定していないが、広島や長崎と同程度の殺戮が、通常兵器による空襲で行われたのだった。
この作品にはその惨状ははっきり書かれていないが、事前にドレスデンの空襲のことを知っていればこれを読むときに緊張感が増す。

「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつない」

理性的な言葉がなければ皮肉や諧謔で語るしかない。


トラルファマドール星人は時間を超越的視点から見る。自分のどの時間も見ることができる。一方人間はそんなことはできない。人間は自由意志を信じているが、自分の一生を一望できるトラルファマドール星人にとってそれは錯覚だ。トラルファマドール星人によって主観的な時間を自由に移動できるようになったビリー(主人公)は、自分の検眼医としての診療室にこんな言葉を飾っている。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

作中に出てくるこの祈り(ニーバーの祈り)は諧謔的な否定なのか、それとも皮肉だからこそ意味が反転して肯定だと言えるのだろうか。


ヴォガネットは2007年に死去した。そういうものだ。