思ったこと。

きれいなものをきれいなように撮っても、その撮ったものは元のきれいなもの以上にはきれいにならない。そういう撮り方はきれいなものの劣化コピーにしかならない。
写真の良し悪しという絶対的基準の無い中でもやはり良いと思える写真はあって、写真という表現は絶対的な答えの無い中に立っている。