デカルトは「疑っているこの私」だけは疑えない事実として自らの"うち"にあるものは確かだとした。"そと"にあるものの無矛盾性とか確実性については神の誠実性を持ち出した。カントは"そと"にあるもの、たとえば目の前のコーヒーカップやパソコンや、時間や…
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