大雨の電車

朝台風並みの大雨の中最寄駅に行ってみれば駅舎の外まで人が溢れてる。あー、京浜東北止まってるよ。そのままじゃずぶ濡れ必至なのでいったん家に帰って運行開始を確認して電車に乗りなおせば人は結構まばら。あの大群衆はずぶ濡れのまま、この頼りない電車でどうにかこうにか都心へたどり着いたのだろうか?いったん遅れた電車は後ろへ後ろへ遅れた分のシワよせが来て、遅い電車はさらにどんどん遅くなるというしくみ。遅く乗ったオマエが悪いのだ。せっかく進み始めた電車も王子駅でふたたびストップして、しきりに東京メトロに乗換えを進めるものだから、駒込まで地下鉄にのって、山の手で田端まで来てみればほとんど確信していたのだけど京浜東北は動いていた。マーフィーの法則っていまどき古いっすかね?山の手もいいかげんトロトロ動いていてまた上野かどっかそこらへんの駅でストップする。お急ぎの方は京浜東北もご利用くださいだって。その言葉に反射的に向かいのホームの京浜東北に駆け込めば、こっちはこっちで山の手線もご利用くださいだって。おのれオレを人間不信にさせる気か?もー大人の言うことなんて信じないぞみたいな小学生気分でそこに居座る。時間はどんどん経って行き、ふん、どんなに遅れたって時間は所詮内観の直観の形式だとイマヌエル・カントが言ってて100%観念的なものに過ぎないんだ。とはいえすでに定時出社時刻を大幅に過ぎておりそういや電車が遅れていなくたって、そもそもあの時間に電車に乗っていて定時出社できたのか怪しいなどと思えば上司の渋い顔がやけにリアルに浮かんできて時間の客観的実在性を認めざるを得なくなりそうになる。しかし電車で自分が座っていた席って自分が電車を降りた後本当に誰が座ろうとどうでもいいですよね。電車に乗ってたときはいやに固執していたけれど。人生が電車の椅子だと思えばなにやらチョーエツ的。職場についたらやっぱり自分が一番遅かった。


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