アートとは生きること。

何気なくつけたブックマークコメントにスターがいっぱいついてびっくり。

「自分たちのアート(芸術)を日本の人にも理解してほしかった」―。地下鉄電車などにスプレー塗料で落書きをしたとして、器物損壊などの罪に問われたスロバキア国籍のダリボラ・スピシアク被告(26)とハンガリー国籍のタカチ・ビクター被告(26)は、18日に大阪地裁で開かれた初公判で来日した動機をこう訴えた。2人はイギリスやドイツなど世界各国で落書きを繰り返す国際落書きグループのメンバーという。欧州各地では「悪ふざけ」か「芸術」の一環として大目にみられてきたようだが、日本で待っていたのは「逮捕」という厳しい現実だった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081221/trl0812211200000-n1.htm

この記事に「逮捕されるのもアートの一部であろう。」となんとなくコメントしたら、スターがいっぱいついてびっくりした。


こう書いたのは岡本太郎の芸術(アート)に対する考え方に共感しているからだ。
岡本太郎は、芸術も人生も生活も生き方もそれぞれに分け隔てはなくて、境界はない。生きることは仕事も生活信条ももちろん作り出す作品もすべて芸術である。生きている一秒一秒、瞬間瞬間が命をかけるべき芸術である。
その芸術は、必然的に社会と対立する。生涯にたった一枚しか絵が売れなかったゴッホのように社会に受け入れられず、排斥される。しかし激しく挑み続けても世の中は変わらない。

"あえて破れることを決意して、社会にぶつかるのだ。それによって、さらに大きな、輝かしい人間像を形成していくのである。"
"ぼくはかつて「出る釘になれ」と発言したことがある。誰でもが、あえて出る釘になる決意をしなければ、時代はひらかれない。ぼく自信は前に言ったように、それを貫いて生きてきた。確かに辛い。が、その痛みこそが生きがいなのだ。この現代社会、システムに押さえこまれてしまった状況の中で、生きる人間の誇りをとりもどすには、打ちくだかれることを恐れず、ひたすら自分を純粋につき出すほかはないのである。"

そして芸術とは爆発である。爆発とは自分の生命が無条件にパーッと開いていくことに他ならない。


スターがいっぱいついたので、共感してくれた人もいたのかなと思い、やや蛇足ながら補足説明でした。