「ゼロからの論証」・シミュレーション・アーギュメント

シミュレーションされる側はシミュレーションされていることをわからない

PC仮想化ソフトというものがある。マイクロソフトの"Virtual PC"とかSUNの"Virtual Box"、"VMware"などある。これをパソコンにインストールすると、仮想マシン(VM)というソフト的パソコンがパソコンの中に出来上がり、その仮想マシンWindowsなりをインストールすると、その仮想マシンのウィンドウのなかにもうひとつのWindowsが動き出すという仕組みだ。最初のWindowsをホストOS、2番目のWindowsをゲストOSと呼ぶ。
ゲストOSは、自分自身が仮想マシンの中で動いていることを認識できない。ゲストOSのプロパティを見たって判別できないしプログラミングしてAPIでバージョン取得してみたってVMの中で動いているかどうかわからない。

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話は変わるが、自分の意識が・・・つまり考えたり感じたり、見たり聞いたり味わったりしているものが、コンピュータの中のシミュレーションでないとどうして言い切れるだろうか?
映画『マトリックス』のような世界だ。

「でも、必ずそうだといえるかなあ? 眠っていながら、自分が眠っているっていう真理を認識することは絶対にありえないといえる?」
「翔太、こいうSFを知っているかい? ぼくらはみんな天才科学者の作った培養器の中の脳だっていうお話なんだけど・・・」
永井均 「翔太と猫のインサイトの夏休み」

映画『マトリックス』の世界では、人間は機械に培養されて生きている。ほとんどの人間は培養されていることを知らず、機械側に脳内の電流を提供するだけに生きている。培養される人間たちは我々が「現実」と思っている夢を見させられ続けている。電流の安定供給にはその夢が必要だからだ。ほとんどの人間は自分が眠って夢を見させられているという真理を知ることは絶対にない。

シミュレーション・アーギュメント

三浦俊彦 「ゼロからの論証」より、

前世紀末からひそかに「シミュレーション・アーギュメント」なるSF的議論が科学者・哲学者の間で展開中なのをご存じでしょうか?映画『マトリックス』公式ウェブサイトのphilosophy sectionてのをクリックすると、コリン・マッギン、ディヴィッド・チャルマーズら<心の哲学>第一線の立役者が寄稿している壮観が楽しめます。
シミュレーション・アーギュメントとは、ではいったい?一言で言うと「私たちが虚構内の存在である確率」を論理的に考えること。この世は夢かも、現実の姿は全然別かも、心の外側には何も無いかもといった汎虚構観は、プラトン荘子、バークリー、一々列挙するまでもない哲学的宗教的文学的伝統を誇りますが、そこへ二十世紀末、科学バージョンが突如参入したこと。この科学バージョンの凄味は、「この世は虚構?」と憶測をめぐらすだけでなく、「この世が虚構である確率は高い!」と言い切ったところなんです。従来型バージョンとは覚醒のレベルがまるで違う。
正確に言うと、シミュレーション・アーギュメントとは、次の四つの命題のうち少なくとも一つは正しいはずだという論証です。

  1. 現在の人類程度の科学技術(レベルC)に達した文明は、さらに高い段階(レベルD)へ進む前に、確実に滅亡する。
  2. レベルDのコンピュータ・シミュレーションによって、あなたの心と同程度にクリアな意識を作り出すことはできない。
  3. レベルDの文明は、あなたの心と同程度にクリアな意識シミュレーションを作り出すことに興味を持たない。
  4. あなたは、コンピュータ・シミュレーションで作り出された意識である。

ゼロからの論証

ゼロからの論証

さてと、まず1は偽。Cに達した科学技術文明が、Cに達した故に確実に滅亡するという理由はないので。
2は?『2001年宇宙の旅』に出てきたHAL9000はクリアな意識を持っているか否か?・・・チューリングテストくらい軽々パスするだろう。培養器の脳の話は、倫理的な問題を抜きにすればすぐにでも実現できそうだ。よって偽。
3、即座に偽。人工無脳を作った経験は私にもあり。レベルDの人もきっとやりたがるでしょ?
4、これはどうしても偽と言い切れない。偽でなければ真である。
どうやら私はシミュレーション人生を送っているらしい。

無限個のシミュレーション意識

Virtual PCの中のゲストOSにVirtual PCをインストールできないというのはつまらない仕様だ*1。実用的用途はともかくとして再帰的にインストールできたら面白かったのに。
ところで私がシミュレーション人生を送っているとしたら、私をシミュレートしているシミュレータはナニモノか?神様か?ではそのシミュレータが、さらにナニモノかによってシミュレートされていないと言い切れるか?言い切れない。
1個シミュレーション意識が誕生したら、その意識はその世界の中でさらに複数のシミュレーション意識を作り出し得る。最初の1個のシミュレーション成功がその可能を示している。そしてその意識は・・・と、第n次のシミュレーション意識まで作り出し得る。この再帰的シミュレーションは、最初の1個目のシミュレーション意識が、シミュレーション意識の作り方を知っていなくてもよい。自ら発見するからだ。現に我々人類はまだ1個のシミュレーション意識を作り出すことができないが、シミュレーション・アーギュメントの2項を偽としたからには、遠からず成功し、シミュレーション意識の再帰的増殖が開始される・・いや、継続される。
こうして無限個のシミュレーション意識が誕生する*2

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無限個のシミュレーション意識の個数は、可能性世界の宇宙含めた中の基底的意識(生身の体を持つ意識?)の個数より圧倒的多数であるから、われわれはシミュレーション意識である確率が高い。
われわれが人類文明発生の時からスーパーコンピュータを携えて現れ、いきなりシミュレーション意識のプログラミングに乗り出したわでけはないという事実は、再帰レベルが一つ前のシミュレータは、われわれがシミュレーション意識の創造方法を最初に知らないということをパラメータとして含ませたようだ。あるいは、シミュレーション意識創造の知識情報を、シミュレーションの中に実装する方法を実現していなかったことを意味する。
もっとも誕生と同時にいきなりシミュレーションを開始するような意識は、シミュレータにとって興味が薄いだろう。再帰がすべての問題に最適なアルゴリズムではないのと同様に意識が意識を創造する再帰的連鎖シミュレーションにとって興味深い意味がない。ある理由があって単純に無限個のシミュレーション意識が欲しければ、無限個コピーを作ればよいからだ。再帰的増殖モデルが採用されている理由は何だろう?シミュレーション開始から次のシミュレーション意識創造までにある時間的な遅延は、さまざまな可能性に分岐させるための時間的余裕として作用するのだろう。

シミュレーションされていることがわかったからといってどうだというのだ

ある日突然、私は仮想人生の中でシミュレートされている一個人だと悟った。
人によってはここのところを「神様によって生かされているある一人の人間だと悟った」に置き換えてもいい。
私はこのシミュレーション人生に不服であり、シミュレータに異議を申し立てたくなった。どうしてもうちょっとよい初期パラメータで、このシミュレーションを始めてくれなかったのか?と。だがそれはどこに向かって申し立てればいいのか。
このシミュレーションに不服で、シミュレーションを自ら中止するのは自由だ。だがそうしてもまた違う人物のシミュレーションに、前回の記憶リセットで最初からやり直すことになるか、または永遠にその機会も得られないかのどっちかなのだろう。やっぱり今日も明日も寝て食って仕事に出かけるのだ。

*1:技術的に不可能なのかもしれない

*2:とはいえ再帰モデルで一番最初にシミュレーションを始めたのは誰なのかはまったく未解決だが